セティナ達は、その後も森を歩きながらも幾度(いくど)か魔獣達と交戦した。
このあたりの魔獣が脅威的ではないとはいえ、そのたびに、王族であるはずのセティナも率先して剣を取り、その身で魔獣を蹴散らした。
そんな彼女の姿を見てか、ザヤックとボミーは、セティナに敬意を持つようになっていった矢先だった。
それは3度目の交戦で、魔獣マウントフライの針がザヤックの足へと当たり、彼は軽傷を負った。
毒もなく、ケガも我慢のできる範囲だったが、セティナはザヤックの近くでしゃがみこみ、傷を負ったザヤックの足へと手をかざして、目を閉じた。
「セティナ様?なにを?」
セティナの髪色のような、薄い水色の穏やかなエーテル光が、セティナのマナに感応するように、彼女の手を包む。
「──ヒール」
セティナの手へと収束したエーテルの光が放たれると、ザヤックの負った刺し傷が、みるみると回復するとともに消え、ザヤックの服についた血だけが残った。
「あ、ありがとうございますセティナ様」
「これくらいの治療でしたら動くのに支障はないとは思いますが、大丈夫でしょうか?」
「はい、問題なさそうです……!まさかミスト(水)系魔法だけじゃなくてレイ(光)系統魔法まで御習得なさってるなんて。いったいどちらで……」
「レイ(光)系統──正確には回復魔法は修道院で学びました──大変時間はかかりましたが。ミスト(水)は王城にいた頃に……師に教わったものです」
「師匠ですか……さぞかし御高名(ごこうめい)な方だったんですね──」
「ザヤック。話はそこまでにしておけ。セティナ様、お手を煩(わずら)わせてしまい、大変失礼いたしました」
相も変わらず仏頂面なボミーが、話をぶった切るようにザヤックを注意した。
「ボミー……ごめん」
「では参りましょう──もうまもなくウルジの森を抜けられるかと」
ボミーは前を振り返りつつも、後ろを気にするようにゆっくりと歩きだした。
「わたくしたちも参りましょうザヤックさん」
「は、はい!」
セティナとザヤックも追うように急ぎ足で歩き出した。
ボミーにもザヤックにも、悪意はなにひとつない。
あるのは彼らの胸の内にある節々の小さな疑問──そして、我々とともに剣を取り、泥の土を踏んで戦ってくれる王女に対しての敬意。
しかしセティナはそんな事を計算して、剣をとったわけではなかった──いや本来ならばそうするべきなのだろう。
黙って森を歩いていると嫌でも『これから』の事を考えてしまう。
剣を取って戦ってさえいれば、事を考えずに済む──それほど、彼女にとって王城というものが複雑な心境にさせるものだった。
それから3人は沈黙のまま、崖近くの森道を通っていた。
そんな中、最初に口を開いたのはセティナだった。
「ボミーさん」
「……は」
「お気遣いありがとうございます」
「いえ、われわれはただの兵士ですので」
「あなたも疑問に思ってる事は、多少なりともあるのではありません?」
唐突なまでのセティナによる、自身の腹の内を探りだそうとするその言葉にボミーはぐっと自身の言葉を飲みこんだ。
「──だとしても、それをわれわれが口に出すには出過ぎた真似かと。今はセティナ様が無事、王都まで帰参なさる事だけが、われわれのするべき事なのですから」
ボミーという男はどこまでいっても兵士であり、軍に準じ、自身を律する男なのだろう。
腹の中ではきっとアルメリア近衛騎士ではなく、なぜ自分たち王都憲兵隊に命令が降りてきたのか?盟約の制限を考慮しても、なぜセティナ王女に騎士がついていないのか?
きっと少なからず、思うところはあるに違いない──しかし彼はそれを口に出す事はなかった。
「では、もしわたくしが……このまま王城に戻らない──と言えば、あなたはどうしますか?」
「──は?」
ボミーは立ち止まり、少し何かを考えた様子を見せるとセティナへと振り返った。
そして片ヒザを付き、地に伏せ──
「……どうかご再考を」
あまりにもまっすぐに言葉をとらえてしまったボミーを見て、セティナは目を開き、あぜんと驚いた。
そしていつもの『作った笑顔』でセティナは答えた。
「戯れでした、ごめんなさい──頭をあげてくださいボミーさん」
顔を上げたボミーもあぜんと驚いた。
「は……いえ、申し訳ございません。冗談は昔から苦手でして」
「そうなんですよセティナ様。ボミーは昔から冗談が通じないんです」
後ろからザヤックが飛び入り、ボミーを立ち上がらせた。
今日この2人と出会ってから、ボミーとザヤックが互いの事を知り尽くしている様子に、セティナはザヤックに問いかけた。
「お2人ともずいぶんと互いの事を熟知している御様子。長いお付き合いなのですか?」
「あ、えっと……僕たち同期なんです。入隊してからずっと」
「そうなんですね──」
少し、ほんの少しうらやましいと思った。
今こうやって、彼らと同じ場所にたっているはずなのに、どうしても彼らと同じ目線になる事ができない。
ないものをうらやんでいるだけなのか、それとも──
「──ッ!」
大地の上で生きている自分たちが、まるで大地の心臓をなにかに握られた事で命の時が止まった──
そんな得体のしれない感覚がセティナ達を襲い、その場にいた全員が、慌てて武器を手に取り、進路上へと構えをとった。
何か強烈な視線──その感覚は、いまだに一度も経験したことのないほどの、寒気のような……冷たい視線だろうか。
「……セティナ様」
ボミーが神妙な低い声で話すと、進路先へと視線を向けている。
森の木々で、空からの光が少なからずさえぎられてるとはいえども、土の道に誰もが気づかぬうちに、まるで幽霊が突如その存在があらわれたかのように──何者かが立っていた。
それは目の前にいるボミーよりも、ふた回りほども巨大な身体だった。
その存在感をさらに誇張させるかのように、その全身を甲冑(かっちゅう)で覆っており、肉体部分を見る事が出来ない完全な武装のようだ。
一見、重装歩兵のように、全身に甲冑(かっちゅう)を着た兵士のようにも見える。
黒く、そして蒼いはずなのに、どこか甲冑(かっちゅう)が禍々しいのは人外のトゲやツノをほうふつとさせるような模様からか、重装歩兵というよりは……そう──地獄への番人を思わせるほど、凄まじい存在だった。
そしてどれだけ重いのか見当もつかないほどの、トゲだらけのメイスを肩に背負っている。
ツノの生えた面兜(めんかぶと)で表情こそ見えないが、確実にその視線の先はこちらを見ていた。
「……後ろへ」
(なに……この感覚は……?)
王女という高貴な表情を保っていたセティナから仮面のようなものが消えていた。
ザヤックとボミーがセティナの前に立つと、ボミーが剣を相手に向けながら、威嚇するかのように大きな声で全身甲冑(かっちゅう)の者へと問いかけた。
「──何者だ!」
「……」
全身甲冑の者は身動きひとつととらず、何も返答がない。
あまりにも突然あらわれた事で、ボミーはアンデッド(不死)魔獣という可能性も追ったが、そんな存在がこの辺りに出現するなど聞いた事がなかった。
「……ザヤック」
「……わかった」
ザヤックは筒のようなものを取り出すと、小さくファイ(火)の現象魔術で小さな火を起こし、筒のネジれたヒモに引火させた。
片手で上空へと筒を掲げると、プシューっという噴出音とおもに筒からオレンジ色の煙が勢いよく上空に打ちあがった。
アルメリア軍で使われている信号筒。オレンジ色の意味は『緊急』。
「われわれはアルメリア軍だ!今一度問う!貴様は何者だ!答えないのなら排除する!」
身構えるわけでもなく、声を発するわけでもなく、ただただ不気味にその巨体な甲冑はそこに存在している。
まるで……ヨロイ屋の防具立ての置物のように。
そこにあるだけのはずなのに、どうしても視線のような強烈なプレッシャーがこの場の空気を痛くさせている。
「セティナ様……その場を動かれぬよう──ザヤック、いくぞ」
「え……援軍は待たなくていいの?」
「待つさ、だがヤツがアンデッド魔獣なのか人間なのかだけでも、知っておきたい」
「……わかった」
ボミーとザヤックは、全身甲冑の者へと一直線で走って攻撃を繰り出した──
恐らく、甲冑でも刃が通るであろうと思われる脆弱(ぜいじゃく)な部分を狙ってか、二人とも斬撃ではなく、その隙間を狙って突き攻撃をした。
「な……!」
甲冑の合間に刃を通そうとしたはずなのに、2人の刃は通らなかった。
(中身はある……けど!)
(刃が……通らない!?)
金属音が鳴るわけでもなく、音すらもどこかへと消えていった。
そしてそれよりも攻撃をされても、いまだなにひとつと、行動をとらない全身甲冑の存在が、より一層と奇妙さを増幅させた。
ボミーがもう一度突き刺そうとしたが、やはり刃は肉体へと届かなかった。
(なんだ、この感覚……手ごたえがまるで……)
「ボミー!離れて!」
ボミーが後ろをわずかにみると、やや後方でザヤックが手のひらをこちらに向けていた。
ザヤックの魔法だと察知したボミーは、慌ててその場から引いた。
ゆっくりとザヤックの右手の周りに緑色のエーテル光が収束していった。
「エアリ(風)──リュ(流れ)──フロン(前進)……ウィングカッター!」
水平にした手のひらで、空を切りさく動作。
それに呼応するかのような、緑の風の刃が全身甲冑へと襲い掛かる──
ファゥン──
「え!?」
「消えた──?」
風の刃が全身甲冑に届く直前に、わずかな波動音とともに、ウィングカッターが消えたのだ。
確かに魔法は発動していたが、届く直前にエーテルが拡散されて消えていったようだった。
(攻撃も届かない、ザヤックの唯一の魔法も届かない──どうするべきだ?救いは、あの甲冑が動かない事……遠回りしてやりすごすべきか──)
「セティナ様!ザヤック!一度引いて迂回(うかい)ルートを探しましょう!」
ボミーの一声とともにセティナとザヤックがうなずき、全員が下がろうとしたその瞬間……
「…………フィ……ド」
セティナ達の位置からでは到底聞こえないほどの小さく、妖しい声。
全身甲冑の位置を中心地として半球のドーム状に青い光が大きく広がっていった。
森の色彩が全てまっ青一色に染まってしまうほどに、そこだけ青色の異空間ドームのようなものが形成された。
「──え?」
「ボミー!」
ボミーが動けずに立ち止まっている。
(なんだ……なにが……さむい……)
少し暑いくらいのはずだった体温が狂ってしまったのか。
自分の体が自分のものじゃないと思うほど体が動かない。そして極寒の凍てついた土地に飛ばされたかのように異常に寒い。
全身甲冑に最も近かったボミーだけが異様なまでの体温の低下を感じていた。
「ボミー!どうしたの!早く!」
セティナが慌ててボミーへとヒールを飛ばそうとマナを練ってエーテルを操ろうと手をかざした。しかし──
(──エーテルが感応しない!?マナ切れでもない……ミスト(水)──)
魔術工程の性質変化すら起こらない、初めての現象に焦っていく。
(どうして──どうすれば──)
(セティナさま……ザヤック……)
沈黙を保っていたはずの全身甲冑がゆっくりと動き出した。
トゲだらけのメイスで土をたたくと──波動とまばゆい光が広がって、そのまぶしさにボミーとセティナは目を閉じてしまった。
──セティナ達が手で覆った目をゆっくりと開いた。
「うそ……」
「ボ、ボミー……」
そこには目を開き、生きたまま閉じ込められている氷漬けの氷像となったボミーがいた。
全身甲冑の者が唐突に大きく飛び上がった。
ザヤックもセティナもその甲冑の着地先がボミーだと直感で理解してしまった。
止めないといけない──どうやって?
「や、やめ……」
トゲだらけの大きなメイスを振り下ろしながら、着地とともに氷像を勢いよく叩き潰し、凍り付いたボミーの体ごと粉々に砕かれた。
道端には赤く染まった氷の破片が散らばり、それらを踏みつけるながらも、返り血で朱く染まった甲冑がこちらを見ていた──
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