ウルジの森──
ヴィラノ修道院と南のホルン村をつなぐ森林街道。
街道といっても町同士をつないでいる整地をされたような道ではなく、雑草の少ない土の部分を道と称しているのだ。
森や草木は普通であるならば緑色であるはずなのに、木の枝に張り巡らされた葉は緑ではなく不思議と深海のような深い青色に照らされている。
緑の隙間から照らす木漏れ日が、木や土に付着している苔(こけ)に反射する事で森全体が深い青色に見えるのだろう。
それは植物学者達の間で、シアンの木に付着した『ブルトリアル苔(ごけ)』と呼ばれる苔(こけ)によるエーテル光(こう)の屈折現象──という話が広まったのは最近の話である。
シアンの木材はその苔(こけ)を集める性質からか建材に用いられる事はなく、ウルジの森の伐採は時を経ても行われずただ人が通るだけの獣道のような土の道だけが続いている。
そのせいか、自然とともにする小動物の姿が多くみられる。
小さな花の種を頬に次々と詰め込んでいる手のひらサイズの小動物が、丸まった耳をピクリを動かすとその小さな手を止めた。
小動物は何かの気配を感じたのか、草木の間を4足歩行で颯爽(さっそう)と走り始めた。
小動物と、木々を介してすれ違うように土の道をセティナ達は歩いていた。
今にも眉間にしわが寄りそうで、あいも変わらず仏頂面で先頭を歩くボミー。
こんな土の道を歩かされているにも関わらず、顔色ひとつ変えず、言葉も発する事なく、淡々(たんたん)と歩く王女セティナ。
そんな彼女が王女という想像していたイメージとかけ離れていたからか、どこか申し訳なさそうに彼女の後頭部へと目線を送っては、辺りを見る──なんてしぐさを繰り返しどこかザヤックはソワソワとしている様子だった。
護衛兵が理由もなく王家の人間に話しかけるなど失礼だとは頭ではわかっていても思考とは裏腹に、気遣いからかザヤックの口は開いた──
「も、申し訳ありませんセティナ様。このような道とも言えない地を歩くなど……」
「いえ。先ほども申した通り、このウルジの森は修道院の課外授業で何度も足を運びましたので」
「な、なるほど……」
たった一言だけで終わってしまった会話。森に住む動物と草木の音。そして3人の歩く音だけが繰り返し聞こえる状況に戻ってしまい、なおさらザヤックを気まずくさせた。
「そんなにかしこまらなくとも結構です」
下を向いていたザヤックの目が大きく見開く。
「万が一、あなた方の立ち振る舞いに手違いがあったとしても、そんなものをわざわざ糾弾するような裁量は持ち得ておりません」
ザヤックは自身の腹の中を見透かされたような気がした。
「……お優しいの……ですね」
またもや思考よりも先にザヤックは言葉を発した。
何気ないそのザヤックの放った一言が気になったのかセティナはほんの少し、後ろを見ながら口を開いた。
「優しい?」
「あ、いえ!その……申し訳ありません!つい口が──」
「──ザヤック」
「ご、ごめんボミー!違うんだ!」
「静かにしろ。何か来るぞ」
「え──」
進行方向、ボミーの見つめる前方から羽虫の音が近づいてくるようだ。
薄暗い木々の視界の先からあらわれたソレは、人間の幼体くらいのサイズの虫の魔獣だった。
虫固有のボーダーラインが描かれているような長く丸い胴体、その上部に黒い球体を取ってつけたかのような複眼(ふくがん)の目、そして6本の細長い手足。
その体を空中で自由自在に操るような半透明かつ薄い模様の羽が小刻みにはばたいていた。
「マウントフライ!」
魔獣マウントフライが3体──
ザヤックが丁寧に魔獣の名を叫ぶと同時に、最前線にいたボミーは正面を向いたまま腰から剣を引き抜いた。
ボミーが剣を構えるとセティナの安全のために彼女を下がらせようと、ほんのわずかに前を向いたまま視線だけを後方へと送った。
「セティナ様、おさがりくだ──」
その瞬間、ボミーの横を素早く何かが通った。
「──は?」
仏頂面のボミーの表情が、あっけにとられたように目を見開いた。
ボミーが軽い目線だけではなくしっかりと首で後ろを振り返るとそこには、いるはずのセティナがおらず、口を大きく開いてはるか前方を見上げるザヤックの姿だけがあった。
ボミーが慌ててザヤックの視線の先を見るために前方を見ると、そこにはレイピアを片手に飛び立って身体をひねり、今まさに攻撃を仕掛けようとするセティナの姿があった。
その細い剣先はマウントフライの胴体と羽を切り分けるように羽の付け根部分へと刃を入れた──
セティナが着地をするとともに1体のマウントフライの胴体が地面に落ちた。
するとレイピアを逆手持ちへと切り替え、その胴体の真ん中をまるで地面に力強く突き刺すかのようにレイピアの切っ先で貫いた。
貫かれたマウントフライはピクピクと息絶える挙動をしたのちに──弾けるかのごとく黒い霧のように消滅して消えていった。
すぐさまレイピアを逆手持ちから持ち直すと、セティナは再び身体をねじった。
それは、もしこの世界に野球というスポーツが存在するならば、バッターボックスで右手だけでボールを打つ直前のフォームのようだろう。
レイピアを持つ右手に水色のようなエーテル光が収束する。
水(ミスト)──低下(フュリ)──
レイピアを横振りに空を切りながらそのエーテルの現象を剣へと伝導(でんどう)させるようにセティナはエーテル魔法の『アイス』を放った。
それはまるで水鉄砲を発射しながら横に振っているように放出されたキラキラとした青白いエーテルの氷霧。拡散された氷の霧が残り2体マウントフライへと降りかかった。
マウントフライの体が霜のような氷が付着し、羽をも巻き込んで落下しそうになったその時──
背後からボミーとザヤックがセティナを走りぬき、ボミーは剣で切りつけ、もう1体をザヤックは槍(やり)でマウントフライを貫き、とどめの攻撃をしかけた。
魔獣達は黒い霧となりその姿は消滅していった。
──ひと安心だと言わんばかりに、いつものクセのように目を閉じながらレイピアを腰にしまうセティナ。
「セティナ様」
前からボミーとザヤックがセティナの元へと歩み寄る。
しかし事が終わった今となってセティナは冷静に、つい勢いで先陣を切ってしまった事はよくない事だと気づき、言葉に詰まった。
「あ……えっと……ごめんなさい。つい──」
そんなセティナから出てきた言葉が意外だったのか少しどこか笑ったようにも見えたのか、ボミーとザヤックは口を開いてキョトンとしていた。
「えっと……セティナ様?つかぬ事をお聞きしますが……修道院の課外授業では何をされてたんですか……?」
「え?」
「マウントフライへの的確な対応。まるで以前にも戦われた事があるようでしたが……」
「あ……」
(そう。課外授業で森に入った事があるのは事実。でも授業では修道生達は集団行動をしていて魔獣への対応は先生方が対処してくださっていた。だから授業中では魔獣と戦った事はない──授業中では。本当はミリアリアに付き合わされて、何度か修道院を抜け出した時に森で戦った事がある。でもありのままの事実を言えば王女らしからぬ品格だとウワサをされる可能性もある──)
「──課外授業は植物の勉強の一環でした。なので戦闘はこれが初めてです。虫に類する魔獣は低温度が弱点だと以前文献で読んだ事がありましたので。……それと先走ってしまったのは、恥ずかしながら本日立志の儀を済ませたばかりの身。体がどうも過敏になってるようですね」
「な、なるほど……」
「承知いたしました。ですがこの先無理はお控え頂けると……」
「ええ、わかりました──では先を急ぎましょう」
(そう。わたしは何度もこのウルジの森に来ている。だからどんな生物がいてどのような魔獣がいるのかも知っていた。その経験からかこの帰路には危険がないと思いきっていた。しかし今日、私の進むべき道はこの日──大きく変わってしまった)
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