学長室の前で、細い指先は木造の扉を心地のいい音で2度たたいた──
「はい」
音のこもったマザーエレアの声が扉越しに聞こえた。
「セラです」
「おはいりなさい」
セティナが木造の扉を開けると、いつものように大きな机の向こうにマザーエレアが椅子に座っていた。
しかし、いつもと違う点──それはマザーエレアと向かい合うように手前には2人の男性が立っていた──彼らの首はこちらへと振り返った。
その外見は、銀がサビているかのような光沢のない小さな胸当て。限りなく黒に近いダークブルーのような布地の衣服。
それらを大きく包めるほどの長く白いマントの背には鳥の模様が描かれており、さらには2人とも同じ格好をしている。
修道服か学生服を着た者しかいないこのヴィラノ修道院では、彼らがここの者達ではないと誰から見ても一目瞭然である。
先ほどまでミリアリアと友情の時を過ごした穏やかなセティナの表情とは一転し、瞳、表情、立ち振る舞い、それはまるで役者が役に入った瞬間かのようにセラからセティナ=ラ=アルメリア王女となり、ゆっくりと学長室の中へと歩いていった。
そんなセティナを見る事もなく男たちは、頭に身に着けている帽子のようにも見える兜(かぶと)を手に取り、片ヒザを着くと床を見つめるように視線を落とした。
セティナは彼らを知っていた。
正確には彼らの名は知らないが、彼らが『どこの兵士であるか』を知っていた──そう誰よりも。
「頭をあげてください、今一度」
「──はっ」
頭(こうべ)を垂れていた2人の男性はうつむいた顔を上げるものの、決してセティナの顔を見る事はなく、まるでセティナの奥を見つめるように前を見ていた。
そんな彼らを見たのちにセティナはマザーエレアに視線を送ると、彼女は穏やかな表情でうなずいた。
そしてセティナは誰にも聞こえないほどの小さな音で、息をはき、口を開いた──
「──名を」
「はっ、アルメリア王国第2憲兵隊所属、ボミーです」
「お、同じくアルメリア王国第2憲兵隊所属、ザヤックです」
そう、彼らはここヴィラノ修道院へとセティナを出迎えにきたアルメリア王都の兵士。
2年前まで過ごしていたアルメリアの王城には彼らのような兵装をした者達が多くおり、セティナが最も目にしてきた服装だと言える。
「現アルメリア国王メイザースが一子、セティナ=ラ=アルメリアです。ここではセラと名乗っております。このたびは遠路はるばるありがとうございます。ボミーさん、ザヤックさん──立ってください」
「──は?いえ、ですが……」
「ここヴィラノ修道院はアルメリア国領内ではあるものの、アルメリア王家とフェスティア教の盟約により王権の届かない地です。それに──まだわたくしはここを出るまでは王女セティナではなく学生のセラです」
「しかし……」
セティナの予想外の言葉。
どう対応をすればいいのかに迷う2人を見かねて、2人の背後からマザーエレアが言葉を投げかけた。
「お二方。レディの申し出を2度も断るのは、いささかよくないのでは?」
表情の変わらないボミーは、視線を正面──そして床へとさらに視線を外したあと、硬い表情のまま立ち上がり、前方にいるセティナをわずかに見下ろした。
ボミーの様子を横で見ていたザヤックもまた、同様に立ち上がりセティナの顔を初めてしっかりと見た。
「……ご無礼をお許しください」
「いえ、こちらこそ。ここを去るその時まで学生セラでいたいというわたくしのささやかなワガママですので」
「わかりました、では責任をもってセティ……セラ様をこの身に変えても王都まで護衛の任を務めさせて頂きます」
「ご配慮ありがとうございます」
今にも眉間にシワがよりそうなほど、大柄なボミーは変わらず真面目な表情で答えた。
反面、ボミーより少しだけ小柄で、ボミーよりもほんのわずかに肉付きのよさそうなザヤックは、王女を前に緊張をしているのか少しソワソワしてるようでセティナとのやりとりは全てボミーに任せていた。
「早速ですが王都への帰路の事で少しだけお話をさせて頂けますか?」
「まぁ旅路の前に立ち話もなんですし、みなさんおかけになっては?」
マザーエレアが気を利かせてボミー達をソファーへと誘導した──
──────────
「──南にですか?」
脚を閉じ、手をヒザの上で重ね、姿勢よく座るセティナが問いかけた。
「はっ──」
テーブルの上に持ち出したアルメリアの地図上へと指をさしながらボミーは話を続けた。
「本来、ここヴィラノ修道院から東のアルメリア王都に行く場合、北の街道を迂回(うかい)していくものですが、現在北の街道は緊急封鎖されております」
「緊急封鎖?」
「はい。王都に入った情報によれば、街道に賞金魔獣の出現、落石事故やらで警戒地域になってるとの情報でして」
「それはつまり王都でもまだ情報が不確定という事ですか?」
「はっ──それも含め、念のために大事をとるのを検討した結果南ルートから──という命令です」
ピトゥ茶の入ったティーカップをテーブルに戻しながらマザーエレアは口を開いた。
「南からウルジの森を抜けてホルンを経由する旅路となると、かなりの遠回りになるのではありませんか?数日でたどり着くものではありませんよ?」
「……司教様のおっしゃる通り、往来にして南の陸路をたどってアルメリア王都へと向かうのはあまりにも長旅になってしまいます。それでは念をとる意味がないかと。なので──」
ボミーは地図上のヴィラノ修道院の南──ウルジの森から、指をほんの少し左へとズラして陸の川岸を指した。
「南のウルジの森を東に抜けると川岸があります。そこにはわれわれが乗ってきた船が停泊中です」
「なるほど、水路という事ですね」
「ええ、船の護衛隊の者達と合流ができれば問題ないかと。ですが──」
「ウルジの森ですか」
「はい。船へと合流するために、少なからず魔獣の出るウルジの森を通る──にも関わず護衛が私とザヤックのたった2人だけです。幸いにしてザヤックとここまでの道中を通ってきましたが、ウルジの森に出る魔獣はそう脅威になるほどの個体はいませんでした。が、それでも本来でしたらもっと多くの護衛をつけるべきかと」
「盟約への配慮ですね。2年前もこのヴィラノ修道院へ訪れた際も、付近まで多くの護衛と荷竜車で来ましたが、そこからは同様に警護の方はお2人でした。ですが修道院の校外学習でウルジの森には何度も入ってますので問題はありません。それに、いざとなればわたくしも戦えます」
そう言葉を発しながらどこか余裕なのか冗談なのかもわからないような無表情で、目を閉じながらセティナはピトゥー茶を味わうように口に含んだ。
そんなセティナをボミーとザヤックは何を言ってるのかと言わんばかりに口を開けてセティナを見ていた。
(ねぇボミー……本気だよね?)
(──黙ってろ)
「……それではわれわれの立つ瀬がありません。全力でお守りします」
「ええ、短い旅路ですがよろしくお願いいたします──ボミーさん、ザヤックさん」
「はっ!」
ボミーとザヤックはまるで剣を持っているかのように右手を自身の顔の前で構え、左手を腰の後ろに当てる敬礼の姿勢をとった。
「ボミーさん、ザヤックさん、少しだけ部屋の外でお待ちいただけますか?」
「はっ……ではわれわれは外でお待ちしております」
ボミー達が学長室を出ていく様をセティナは見つめていた。
「ふふ、驚いていたわね」
「少しだけ戯れが過ぎましたか?」
「いいのよ。物事はバランスが大事。あなたは少しくらいむちゃを言うくらいでちょうどいいの。そうやってゆっくり一歩ずつ新しい自分を広げていきなさい」
「はい、マザーエレア……ではわたくしもこれで。2年間お世話になりました」
「ええ、あなたも元気でね。また何かの式典でお会いしましょう」
「はい、きっと──」
セティナはマザーエレアに一礼をし、廊下に出るための扉の前に立った。
扉を開けるためにドアノブを握ろうとしたが、感傷が自身の手を伸ばす事を躊躇(ちゅうちょ)していた。
この扉が終わりと始まりなのだと。
指の神経を確認するかのようにドアノブの前で指先をゆっくりと開いて閉じると、その手はドアノブを回した。
部屋を出ていくセティナの姿をマザーエレアは穏やかに見守っていた──
「お待たせしました、それでは参りましょう。王都に──」
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