マザーエレアはおだやかな表情で、中腰でセティナへとゆっくり手を差し伸べた。
セティナが目を開いたのは、地下の大聖堂だった。
「気分はどうかしら?セラ」
「マザーエレア……?あの……わたくしは……?」
目覚めのように記憶が曖昧なセティナはマザーエレアの手を取りながら、あぜんとした表情で思考をめぐらせた。
(大聖堂で……立志の儀に挑んで……それで……?そこから思い出せない──)
だいじな儀式の工程も結果も思い出せない事に、不安をつのらせているセティナ。
「それでいいんです。セラ」
「え?」
「代々アルメリアに受け継がれてきた立志の儀。それがどういう場所で何をしてきたのかは誰もわからないのです。というよりも覚えてない──と言うべきかしら」
「覚えていない?」
「ええ。あなたの父上の時は、わたくしは司祭としてこの地に立ちましたがあなたと同じようにエーテルの光とともに消え、そして瞬くように戻ってきました。まるで何事もなかったかのように」
「ですがマザーエレア。立志の儀とはアルメリアの守護獣と呼ばれる聖獣をこの地へと──」
「あまりにも教えと違う過程──と言いたいのかしら?」
「……はい」
「そうですね。なぜ立志の儀が『聖獣を呼び出して契約』なんて言い回しをしてるのかは司教である私たちにもわからないわ。神が定めた節理というものは私たちの理解の及ぶ所ではないもの。
立志の儀を方便と考える者、フェスティア様の世界に招かれたと考える者。しかし誰一人としてそこに現実的な論理性を組み立てられた者はいまだ不在」
「……」
「面白いと思わない?」
「え?」
「セラ。あなたが思っている以上に世界は広く、まだまだ未知にあふれているのがアナタが生きてる世界。本来、物事の意味なんてものは大抵は視認できるものじゃないわ。そしてそれは『あなた自身』や『あなたが見る世界』も同様。
時には整地された街道から外れて、獣道を歩かねば見えない道理もある。という事を忘れないで」
「マザーエレア……それは……」
穏やかにこちらを見つめるマザーエレアの表情を見て、セティナは問いかけるのをやめた。
マザーエレアが意図した言葉は強制ではない。王女セティナではなく、生徒セラの私を想っての願いなのだろう。
「そして、あなたの先生としての最後の言葉です」
マザーエレアはセティナに近づいてそっと彼女を抱きしめた。
「セラ、卒業おめでとう」
「あ──」
セティナもマザーエレアを抱きしめ、その温かさに触れた──。
彼女──セティナがこのヴィラノ修道院を訪れて2年。
ヴィラノ修道院はフェスティア教信仰の元、多くの者に学問を教えている修道院である。
14年前の赤鷹事件で多くの身元不明の難民が出た際にも保護を行うなど、崇高でありながらも出自の違う者達に救いの手を差し伸べたフェスティア教の修道院だ。
当然、指導を行っている司祭やマザーエレア司教達以外には、アルメリア王女であるセティナの身分を伏せていたが、例外としてただ一人セティナが王家の人間だと知る者がいた。
──ヴィラノ修道院、学長室にて──
「セラ。改めて立志の儀、そして卒業おめでとう」
「ありがとうございます、マザーエレア」
「早いものね。2年の歳月はこの老婆にとってはあっという間だったわ。あなたがこの修道院に来た日も、つい昨日の事のように思えてしまうわ」
「マザーエレア……」
「ま、最初はどうしたものかと思ったのが本音よ……あら?」
「……いかがされました?」
そういうとマザーエレアは学長室の扉へと近づいて、ドアノブに手をかけた。
「なんでもないわ。ま、違う意味でも手を焼かされたのはセラだけではないってことね」
マザーエレアが言葉を発しながら、ドアノブのとっかかりを外すと──
「──えっ!?ぎゃふん!」
扉の向こうから薄い緑色のツインテールの女の子が体勢を崩して倒れてきた。
「ミリィ!?」
「あ……あはははは……」
セラと同じ齢(よわい)ほどの女の子が突然ドアから現れ、セティナは驚いた。
ミリィと呼ばれた女の子は何かをごまかすように笑っていた。
「はぁ……まったく、盗み聞きは感心しませんよミリアリア。なにより、無作法です」
「ご、ごめんなさいマザーエレア」
(あちゃー……なんでバレたんだろ)
「禁区の大聖堂にまでは立ち入らなかった事。動機が友人の心配。卒業に迎えたセラに免じて今日の所は大目に見ましょう」
「あはははは……ありがとうマザーエレア」
「セラ、迎えの護衛の方の到着は日中のようです。それまでミリアリアと一緒に院内の方々にあいさつしてらっしゃい」
「はい、マザーエレア」
「セラ!行こう!いろいろと話を聞かせてよ!」
「ああ、立志の儀や禁区の話は機密なので聞かないように──」
「わかってまーす!」
ミリアリアに引っ張られるようにセラは学長室を出て行った。
(セラはセラで手のかからなすぎる所が心配ですが、ミリアリアのようにわんぱく過ぎるのも考え物ね。ま、だからこそあの二人は良い友人になれたのでしょう)
2階の学長室の窓ガラスから、外の渡り廊下を歩く生徒たちを見ながらマザーエレアは安心そうに笑みを浮かべた。
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