第23話『アルメリアの鐘は悲報に鳴く7』
3日前──アルメリア王国領北西部、ヴィラノ修道院──
まだ夜も明けない時刻。
灰色のレンガでできた渡り廊下を細いブーツが一歩、そしてまた一歩と進んでいく。
『黄土色の鐘の揺れは、その鐘から広がる音の残響さえもどこか不気味に揺れているようだ』
渡り廊下を歩く少女は、本で見た言葉を脳裏で口ずさむ。
今まさに聞こえる、ヴィラノ修道院の頂点で鳴る鐘の音を聞きながら。
福音のための鐘はいつしか、時を知らせるためとなっていた。
もはやただの風習と化したその音の本来の意味など、そして誰が鳴らしているのかさえ知る者はほぼ存在いない。
しかし今日、今ここで鳴っている鐘だけは本来の福音のための音なのかもしれない。
そしてその福音は、自身に向けられたものなのだと。
そう思いたいほどに今日に限って鮮明に聞こえた鐘の音。ゆえに文学者ロウリッヒの本の一節がふと脳裏によぎったのだろうか──
『立志の儀』
──それはアルメリア王家の太子が、王族の証明たる資格を得るために行われる由緒ある儀式と言われている。
その儀式では、アルメリアの守護獣と呼ばれる聖獣をこの地へと召喚し、王家の者はその血と勇気と意思をもって契約に準ずると言われておりここ、アルメリア王国にあるヴィラノ修道院では一人の少女が立志の儀を行おうとしていた。
その少女の名前は──セティナ=ラ=アルメリア。
いつもなら固く閉ざされているヴィラノ修道院の地下への長い螺旋階段を抜けると、それは地下とは思えないほどの大きな大聖堂に出た。
まるで大空洞を作り替えたかのようになサビた鐘色の大きな壁、そしてはるか前には儀式のための祭壇。
その奥には不死鳥のような聖獣の大きな像がこの地を象徴しているかのように存在していた。
セティナは大聖堂の入り口で横を見ると、一人の成人女性と目が合った。
修道女のような姿をしている女性は自身の身体の前で手を重ねたまま、ほほえんで小さくうなずいた。
表情ひとつ変える事なく、セティナは再び前を見て王女としての立ち振る舞いで、凛(りん)と一歩一歩と大聖堂の祭壇へと歩いていく。
数多くの者がこの大聖堂で祈るために、並べられた木彫りの長椅子の間をゆっくりと歩く王女──その構図はまるでひれ伏した民が王のために作った道の幻想。
その足音は静寂の大聖堂の中に何度も何度もこだましていった。
祭壇の手前の階段前で、セティナはその足を止めた──
「とうとうこの日が来ましたね」
4人の司祭、そして祭壇の上でこの場で品格のある司教がセティナへと話しかけた。
「──はい、マザーエレア」
「早いものですね。セティナ様がこのヴィラノ修道院に学びにいらしてから3年──
もう学問を教える事はありませんが──本音を言えば、まだまだセティナ様の近くでその成長を見守りたい気持ちはあります。ですがこれもフェスティア様の習わしと導き。
ヴィラノ修道院、院生として最後の特別個人試験です──心の準備はよろしくて?セラ」
セラというのはここヴィラノ修道院で通っている学生名セティナの学生名。
マザーエレアは最後まで王女としてではなく一人の生徒としてセティナの事をセラと呼んだ。
そんなマザーエレアの少し感傷性のある言葉をセティナは飲み込むように、セティナはやや上向くようにアゴを上げ、目を閉じると、小さく息を吸い込んだ。
セティナの縛ったライトブルーの長髪はつるされたように揺れ、右の手のひらで腰に身に着けているレイピアの柄先へと当てた。
(……大丈夫。大丈夫ですセティナ=ラ=アルメリア)
レイピアの柄先を握りしめると、セティナは目を開きマザーエレアへと冷静なまなざしを送りまっすぐと問いに答えた。
「はい、心はすでに」
沈黙を介するように、マザーエレアは寡黙気味のセティナをじっと見つめた。
「……わかりました。それでは皆様、よろしくおねがいしますね」
マザーエレアの声に4人の司教たちは小さくうなずいた。
「セラ、教えた手順通りになさい」
「はい、マザーエレア」
「では、これよりセティナ=ラ=アルメリアのための立志の儀を行います」
祭壇の奥のスペースには黒い影跡のようなもので書かれたフェスティア語ではない文字で構成された五芒星(ごぼうせい)の陣が地面に書かれていた。
その五芒星(ごぼうせい)の先端位置にそれぞれの司祭とマザーエレアは立ち、そしてセティナはその中心に立った。
マザーエレアは装飾で飾られた杖で地面をたたくと、その音が波紋のように大聖堂へと広がった。
「セラ」
マザーエレアがそう合図を告げると、セティナはレイピアの先端で自身の指先を当ると、ぷっくらと小さな血のドームが出来た。
血を自らの足元に垂らすと、それを確認したマザーエレアは一節を唱え始めた──
「祖は媒介者」
マザーエレアの言葉に続いて司祭達が言葉をそろえて口で唱える。
「われらは媒介者。祖は弦となり夕闇に、友は矢となり天へと導く──かの者たちは三宝。純然たる意志。ゆえに打ち立てられた楔(くさび)。されど罪の模倣──」
再びマザーエレアが杖で地面を突くと、黒い影跡のような五芒星(ごぼうせい)の魔法陣は司祭達の足元から光のインクがなぞるように、陣の形状をエーテルの光が塗りなおしていく。
「断罪──切り離された循環の理。無慈悲なる永遠の悠久。かの封印への特異をつながれん」
エーテルの光で描かれた魔法陣が浮かび上がると、周りながら弾けるように光は大聖堂の中で大きく広がった。
それは光が形のあるものと思ってしまうほどに砕けるようで──散った光の方陣は断片化しており、まるで何かで形が切り刻まれたようだ。
地に落ちる事なく無数に散った陣の破片は、セティナの頭上で再び無秩序に動き回っていた矢先──
セラを中心に広がった波紋はセティナとそしてマザーエレア以外の全てを静止させた。
音もなく、色もなく、セティナとマザーエレア以外の全部が灰色の世界──空に浮いたままのエーテルはおろか時の流れさえも隔離されたかのように。
「接合せよ、ベスディエドライ──アルメデ」
──コン。
再びマザーエレアが杖を地に突くと──止まっていた全てが動き出し、断片化した魔法陣の残骸が収束しながら再構築されていき、まるで見えない球体で包まれてるようにセティナの元に降ってきた。
「あ……」
足場の悪い坂道を転がるボールのように、魔法陣の球体は不規則に激しく回るとより一層と光が強まり、そのまぶしさが大聖堂を包んだ──
司祭達がゆっくりと目を開くと、エーテルの光は消えていた──セティナとともに。
「……エレア様」
「ええ、静かに待ちましょう。それこそが私たちの仕事なのですから」
────────────
(──王家になど産まれなければよかった。宿命といえるほどの明確な標も私にはない。女になど産まれなければよかった。勝手な期待と勝手な絶望を他人に強いる事もない)
白。ただひたすらに続く白い世界。
本当の無とは黒ではなく白なのだと、そう感じさせるほどに。
(私が心に仮面をつけてさえいれば、全てが丸く収まる。何も望んではいけない。私は人形なのだから──)
地平線もどこが足元かもわからない白の世界で、セティナはゆっくりと歩いていた。
「白い世界……これは現実?それとも夢?……エレア様はこの事を教えてくださらなかった」
その足を止め──うつむき、セティナは自身の足を見つめて考えた。
「立っている……」
(どこに──?)
うつむくセティナの下唇にそっと力が入った──そして小さく、ほんの小さく小声でささやく。
「死人の世界……だったらもっと割り切れるのかな」
どこか笑っているようで何かを諦めたようにも思えるセティナの表情は、白い世界で皮肉にも影に包まれていた。
(ダメよ!)
「えっ!?」
セティナが驚くように後ろを振り返ったが、何もなくただひたすらに前と同じ光景が続いていた。
「……ミリィの声?」
気のせいかと再び前を振り返ると、自身の違和感に気づいた。
自身の中指と人差し指を目尻に当てると、セティナは手に水分の感触を感じた。
その水分をすくって指先をじっと見つめていると、その表情は少し驚いているようだった。
「──なるほど──それがおまえの本質か──」
「え……」
ミリィでもない、マザーエレアでもない。セティナの知らない低い声が幻聴ではなく確かに耳に届いた。
ほんの一瞬だけ緩んだセティナの表情は、再び冷たい表情へと戻った。
「精神は理解した。……では肉体はどうか?」
セティナの視線の先で3つの禍々しい黒い霧が小さく立ち込めている。
3つの黒い霧が形を成していくと、それはそれは獣のようであり、形の成さないはずが形のある存在と化していったその姿にセティナは冷静に戦闘判断を行った。
(──魔獣)
黒い霧は3体の狼のような形状となるや、すかさずセティナはレイピアを抜き、急ぎ重心を後ろ足へ送ると、肘とレイピアをまっすぐ前へと伸ばした。
黒い霧の魔獣が飛び跳ねると同時に、セティナも素早く可憐に踏み込んだ。
白く冷たい世界で自身の心の闇を払うかのように──
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